人を愛するということ

本来、人を愛するという事はとても素晴らしい感情でございます。

誰かを想い、誰かに尽くす。

愛は何事にも代えられない美しさと、強いエネルギーを持った素晴らしい感情なのです。

本来の愛は自由でした。

誰を愛しても、誰から愛されても。

誰からも文句を言われる事はなかったのです。

むしろ、その素晴らしい感情を持っている心を、美しいとされていました。

ですから、結婚という形で法律の枠に縛られるのは、おかしな話であり、鎖となって流れを停滞させているのが、現在の私たちの世界でございます。

自由に人を愛し、愛がなくなれば去る。

そこに捕らわれるべきものは何もなく、自由に愛を楽しむことができるとしたら、私たちは今よりももっと心豊かに暮らすことが可能となるでしょう。

明治31年まで、日本は一夫一婦制ではございませんでした。

この一男一女でいる決まりが出来たのは、人類の歴史からしてみたら、ほんの最近の話でございます。

結婚。所有という概念が生まれたわけ

縄文時代までは、所有という概念はございませんでした。

みんなで協力をし、食料を分け合っていたのです。

Aさんの果物。誰Bさんの魚。Cさんの森。

こういった所有の概念がなく、大地の恵みを分け与えてもらっている、という認識しかありませんでした。

そこで、弥生時代となり、他国多文化が混じるようになります。

稲作を始めることで、安定した供給を見込めるようになると同時に、所有という概念が芽生え始めてきたのです。

自分が作った稲だから、収穫できた稲は自分のもの。

耕した土地は自分のもの。

沢山耕した土地は、その人の所有する土地となり、大きければ他の人へ「貸出」をすることに。

貸した土地から収穫できた稲の何パーセントかをもらうことで、土地を持つものに権力が生まれたのです。

こうして、徐々に所有という概念が生まれたと同時に、男女の間でも所有という概念が生まれ始めました。

せっかく手に入れた権力は、誰にも楽して渡したくない。

我が子に引き継がせたい。

継がせる子が、確かな我が子であるためにも、妻となる女には、他の男がいては困るのです。

こうした理由で、一夫多妻制が生まれてきたのでございます。

一夫一妻制となったのは、明治時代。

西洋の文化の影響も原因ではありますが、多くの男性が、何人もいる妻や子供を養いきる資源を、権力者たちに管理されるようになったせいでもございます。

限りある資源であるならば、妻とて我が子や我が身を守りたい。

何人も妻や子がいては、自身がくいっぱぐれてしまうので、男女ともに一夫一妻性へと突き進みました。

一夫一妻性は世界の2割程度

世界に238ある社会のうち、一人の男一人の女と決まっている社会はわずかに43。全体の二割程度となっています。

哺乳類でみてみると、3~5%程度。

いかに私たち現代人が、窮屈な制度を受け入れているのか、ご理解していただけましたでしょうか。

・一度結婚したのだから、あなたは永遠に私のもの。

・他の女に触れることは許しません。

こういった概念は、当たり前のように感じてしまいますが、実は最近出来ただけの、世界で数少ないレアな概念なのでございます。

我々は、古来より自由に愛を楽しんでおりました。

ですから、この愛の拘束に縛られる時は、心が苦しくなるのです。

頭でわかっている事は、心では理解ができません。

マインドにいくらダメな事だと伝えても、ハートは人類が最初から持つ自由な愛を望んでいるからです。

無節操な愛はない

愛は自由だった。といっても、無節操に人をとっかえひっかえしていたわけではございません。

傍にいる人たちを自由に選べました。
気の合わない人と、一緒にいる必要もありません。

好きな人、居心地の良い人達が群れとなり、時には離れ、幸せに過ごしていました。

本当に愛した人のそばにいる。

縛られていない愛は、本物の愛を生みます。

結婚、婚約、恋人関係。

その縛りは、安心感を生みますが、時としてハートに苦しみを生み出すことを、どうぞ知っておいてください。

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