義理母・ママ友など嫌な誘いに付き合う必要はありません
人のために良いことをしましょう。
人に不快感をあたえないようにしましょう。
空気を読み、人の思考を先読みして動きましょう。
このような概念は、さっさと捨てて下さい。
あなたは、誰かを心地よくするためだけに生きているわけではありません。
ましてや、自分の存在を殺してまで、誰かのご機嫌を取る必要なんて一ミリもないのです。
でも、嫌われたらどうしよう。
冷たい目でみられるのではないか。
仲良しグループから外されてしまうかもしれない。
そう頭で考えてしまい、気の合わない人とでも無理をして付き合ってしまうことは、他人の人生を生きるということです。
気の合わない親戚の集まり
義理母とのお出かけや帰省
ママ友との食事会
会社の合コン
少しでも乗り気ではないのなら、参加をしなくても、まったく問題はなありません。
あなたが、あなた自身の人生を歩みたいと思っているのであれば、なおさら乗り気ではないことをする必要はないのです。
親戚の集まりに参加をしなければ、親が変な目で見られるかもしれません。
義理母、ママ友、合コンなどの誘いを断れは、裏で何を言われるかわかりません。
あなたの人生と、裏で何やら囁いている人との人生は、全く別物。
あらを探して悪口を言い、ストレスを発散させては、また次の人のあらを探す。このような人達の人生を、共に生きる必要はみじんもございません。
放っておけばよいのです。
嫌われたら怖い。
嫌がらせをされるかもしれない。
仲間外れにされたくない。
そう不安に思われるかもしれませんが、実はそうではありません。
ただ、合わなくなった人と、あなたは別の世界に移り住むだけです。
別の世界でお互いに合った暮らしを楽しむ
相手から見えない世界に移行をするだけです。
別の世界に移行と聞くと、何やら魔法のような不思議な感覚に眉を顰められるかもしれませんが、何か特別な現象が起こるわけではございませんので、ご安心くださいね。
気の合わない人は、意識をその人にフォーカスすることがないので、ほとんど見えなくなってゆきます。
たまに顔をみたら、思い出すかもしれませんが、普段のあなたの人生において、気の合わない人は存在しないのと同じようになるのです。
少し難しいかもしれませんね。
あなたは今、100人規模のお見合いパティ―に参加をしているとしましょう。
そして、あなたの好みは、背が高くて、髪の色が派手な人で、健康的に日焼けをしている人、だとします。
100人の男性の中から、あなたは好みの男性を探しています。
茶髪で、色が黒くて、背が高くて・・・。
このような状況の時、あなたの目には、好みに近い条件の人しか見えていません。
低身長で黒髪、色白の男性は見えていないのです。
友人から「あなたの斜め前にいた、黒髪の好青年、すごく感じが良いよね」と言われても、「そんな人、いたっけ?」となってしまうでしょう。
そこで、斜め前にいただろう、黒髪の好青年に目をむけ、初めてその人の存在に気が付くことができます。
しかも、よく見たら、なんだかとっても優しそうで素敵かもしれない・・・。
そう思うかもしれません。
たとえ優しく素敵な人でも、意識を向けなければ、見えなくなってしまうのです。
これが、別の世界を生きる、という事です。
嫌な相手に関心をもたなければ、そこに意識を向けることはありません。
意識がないものを、人は見ようとは思いません。
目には映るかもしれませんが、フォーカスをしないので、風景のように通り過ぎてゆくだけなのです。
相手から受ける妨害
意識を向けなくても、向こうが攻撃を仕掛けてきたら、困るじゃないの。
そう思ってしまうかもしれません。
しかし、その人自身に焦点を当てていないので、「あ、そう」と軽く流せるようになります。
例えるなら、嫌いな上司が、あなたと肩がぶつかったとしましょう。
嫌がらせで当てられた。
わざとぶつかってきた。
向こうも私の事が嫌いに違いない。
イライラ・イライラ・・・・。
などと考えると、たちまちしんどい気持ちになってしまいます。
ですが、全く関心のない同町とぶつかっても、あなたは何も恐れることはないでしょう。
数分も経てば、ぶつかったこと自体を忘れているかもしれませんし、相手が誰だったのかも思い出せないかもしれません。
その時は、一言謝ってくれたらいいのに、くらいは思うかもしれませんが、上司から受ける嫌がらせ行為だ、と悩むほどのストレスは感じないはずです。
意識を向けるか向けないか。
誰かとぶつかる、という同じ現象が起こっても、相手のことが嫌いか、好きか、何とも思っていないか、で、あなたの現実が変わってきます。
嫌がらせを受けたという現実は、とてもストレスフル。
何とも感じなかった現実は、穏やかで普通の暮らし。
同じ現象でも、受け止め方次第で現実は大きく変わってくるのです